とりあえずCodeFriendsにバタバタと入会となって、一週間足らずで初回の授業日がやって来ました。
先生がどんな人かも、どんな雰囲気なのかも、何をやるのかもさっぱりわかりません。
そこで私は、いきなりびっくりしてしまうのです。びっくりしたというと、少し大げさかも知れませんが、意外なことがあって、そのことでいろいろ考えさせられた、というのが正確かも知れません。
それは、自己紹介のときのことです。先生から、名前の他に「呼び名、住んでいるところ、最寄りの駅、それから好きなゲームや好きなYouTuberを教えて」と言われたのです。
今からすると何が?という感じなのですが、「みんなの前で(堂々と)好きなゲームを発表する」ということが、今までにはないことで、学校では考えられないことですから、ちょっと驚いて新鮮だったのです。
私が学生の頃、TVゲームをやるとバカになるとか、犯罪を助長するとか言われてました。それはもう、ゲームは諸悪の根源のような言われ方だったような気がします。
今はそれほどまでに表立って言われていないにしても、「子どもは(TVゲームなんかしないで)外で元気に遊びましょう」は根強くあるのではないでしょうか。
要するに、「子どもからはなるべくゲームは遠ざけるべし」。全くやらないのは無理にしても、なるべくやらないのに越したことはない、こういう考えが教育現場とその周りには前提としてあるように思います。
だから、子どもが堂々と「ゲームが大好きです!昨日もゲームをやりました!」なんて学校で先生やみんなの前で言うことなんてないわけで、当然、好きなゲームを発表するなんて考えられないのです。友達同士で話をするのがせいぜいですが、それすら許されない雰囲気があるように思います。
息子が小学校のとき、こんなこともありました。学校で、友達とゲームの話をしていたところを先生に見られたようで、あの子はゲームの話ばかりしていると思われたのか(実際は息子はそこまでゲーム好きではありません。確かに好きですが、普通かそれ以下だと思います。周りを見れば、もっとゲームをやっている子、詳しい子達がいます)、あるとき先生から、「あの子はゲームで友達を作る子ですね、気を付けなければいけませんよ」と、いかにも感心しないという様子で言われたのでした。担任の先生ではなかったので、さほど気にしなかったのですが、今だに何を、どうして気を付けなければいけないのかよくわかりませんが・・。
でも、子ども達はゲームが好きです。私もゲームは好きだし。現代っ子ですから、友達と集まれば、ゲームをやります。多くのお友達がDSを持っています。据え置きのTVゲームも多くのご家庭にありますし、うちでも、お友達のお宅でもゲームで盛り上がっていることはよくありましたし、もちろんゲームとの関わりについては各ご家庭でルールがありますが、うちでは本当に楽しそうにお友達とTVゲームやDSをやって盛り上がっていたのです。
でも、それを、学校で”公に”言うことはありません。子どもは日記として日々の出来事や感想を連絡ノートに書いて先生に出していました。低学年のときは週末だけ、高学年からは毎日でした。学校であったこと、帰宅してから家でしたこと、友達と遊んだことなどを書くのですが、そこに、「友達とTVゲームをしました」と書いてはいけないというのが暗黙の了解としてあるのです。
実際、私は「今日何書いたらいいだろ〜」と悩む息子に対して、「○○君とゲームしたこと書いたら?」と言ったことがありますが、「そんなこと書けないよ〜」と返ってきて、「やっぱそうだよね^^;」となりました。ゲーム以外のことで遊んだことは、堂々と書ける(むしろ喜ばれる)のに、です。確か、低学年のときに一度ゲームで遊んだことを書いて、「ゲームしないで外で遊びましょう」と書かれたこともあったように思います。
学校とその周りでは、ゲームははっきり言って「悪者」なのです。これについてはまたいろいろ考えさせられることがあって、また書きたいと思いますが、子ども自身もそれをひしひしと感じていて、学校ではゲームのことは秘め事のようになっているのでしょう。
だから、「堂々と好きなゲームを言いましょう」なんて、普段ありえないことですから、私自身驚いてしまった。驚いたことに驚いて、考えてみたら、そういうことだったんだと気付いた、という訳です。
本当は、みんなゲームが好き。もちろん、ゲームは楽しい分、依存の危険もはらんでいるから注意も必要なんですが、それを抑圧されているから、ゲームのことを話せたり、共有できたりする場があって、しかもそれにしかめっ面をしないでノってくれる大人がいたら、嬉しいですよね!
それが時にCodeFriendsの教室だったり、先生だったりする訳です。(つづく)

日記にゲームは書けない。まさにそうですね^^
その昔「ゲーム脳」という言葉が流行語になりましたよね?
昔、息子がネットでこの言葉を見つけて憤慨していました。
「ゲームをすると馬鹿になる」「ゲームをするとキレやすく犯罪者なる」
自分はゲーム好きを公表してるので絶対に↑みたいに思われないようにしなきゃとも
言っていたこともあります。
彼の美学で「ゲームもするけど、成績もいい。夜更かしもしないし、素行よし!」を
目指しているみたいで、勉強も頑張っていて親としては有り難いことでゲーム様様です。
ゲームへのリスペクトと責任感には感心します。(また親バカが出た)
なので、すこーしづつですが、息子の担任の先生や身近な大人が理解し始めています。
やっぱり公には先生も「ゲームいいんじゃね?」みたいなことは言いづらいようですが、
若手の男性の先生が英語のスピーチでゲームのこと話してみませんか?と誘われたときは、
めちゃめちゃ嬉しかったです。(本当は先生もゲーム好きなんですよ^^たぶん)
それもバックにゲーム完全肯定のコードフレンズという心のセーフティネットがあるのも事実です。
読んでいただいてありがとうございます〜!!嬉しいです
コメントも!わーい読者ができた♡(〃∇〃)♪
昔と違うのは、ゲームをしてきた世代が大人/親になっているということだと思うんですよね〜
だから、みんな内心は好きなんですよ。
でも自分たちも「ゲームはよくない」みたいに言われて育ってきたという。だから迷いというか、葛藤もあって、
あと、もう一つ、「責任転嫁」という人間の防御反応も大きいんじゃないかと最近気づいたと言いますか、
これも否定しちゃうと生きていけない。ゲームが好きだという気持ちも、ゲームよお前が悪いんだお前のせいという気持ちも、
どっちも否定しちゃいけないんじゃないかと・・というテーマで次回書きたいと思います(ヾ(^o^;) オイオイ)
りょうくんも素晴らしい・・なんといういい子でしょう。
「ゲーム愛好家」の名に恥じない美学・・
”好きこそものの上手なれ”っていう言葉あるじゃないですか、
何でも、好きから出発するのだから、好きなものがある子、たくさんある人、一つでも何か深く好きになれた人は幸せだと思うんです。
何にしても、「好き」っていう気持ちは大切にしたいですよね。