愛されて憎まれて、ゲームはみんなを救っているのかも

初回の授業の自己紹介であった、教室で好きなゲームを皆に発表するという場面は、学校の教室ではありえなかったということを思い起こさせ、子どもにとってというだけでなく、私自身の中の、ゲームというものに対する抑圧に気付かされた場面でもありました。

この時、実は子どもたちだけではなく、保護者に対しても「昔やったゲームや好きなゲームを教えてください」と言われました。その時、私はまさかそんなこと聞かれるとは思っていませんでしたので、順番が回ってくるまでの間に思い出そうとしたのですが、何しろ初めての教室で先生も周りも初めて会った人たちばかりで親子で緊張していましたし、子どもがちゃんと発言できるかなとか余計なことに気が行って頭が回らなかったこともあって、ロクに思い出せず、「ドラクエとか・・有名どころは一通りやりました。ずっとやってませんでしたが最近久しぶりにWiiUのスプラトゥーンをやってみたら面白くてはまりました。」ぐらいしか言えませんでした。

あとから、よく考えると、ゲームの思い出はいっぱい出て来ました。すぐには何も浮かばなかったというのも、考えてみれば私自身他人にましてや集団の中でゲームについて話すことなんて今までになかったし、その為に思い出すこともなかったからだと思うのです。

いや、正確に言うと、ありました。話題になることは何度もありました。でもいつもそれは否定的な意味でした。

それは、主に学校で。ゲームはほどほどにさせましょう、ゲームをやる時間は制限しましょう、約束を決めましょう、さらには、ゲームのせいで子どもが勉強しません、ゲームばかりやっていますどうしたらいいですかetc…

この話題が出てくると、私はまたその話か、と思っていました。正直、私自身は自分の子育てにおいてゲームに関してこのような感情をもったことがないからです。

大きな声では言えませんが、我が家ではゲームに関する決まりがほとんどありません。ほとんどというのは、一つだけあるからです。それも最近できたもので、それまでは何もありませんでした。それは、「WiiUは宿題が終わってから」です。でも、他にもDSとかPlayStationとかファミコンとかゲーム機は何種類かあるので、実質ゲームはやりたい放題です。子どもが一番やっているのもDSですし。

このWiiUに関する約束も、子ども達が自分で決めました。WiiUを買うとなったときに、期待が大きすぎて、夢中になりすぎて困るかもしれないからと言って、決めたのです。実際はそこまでの魔力はありませんでしたが、自分で決めた約束のせいか、絶対に破りません。いいじゃん、やろうよと私が誘ってもやってくれません^^;

それでも、勉強もちゃんとやって、下の子はほぼ9時半、上の子は10時に寝るので、困ったことがないのです。

大きな声で言えないというのは、やっぱり親同士の中でもゲームに対してネガティブなイメージが当たり前と私は思っているからです。

ゲームは一日○時間まで、とか約束にしているご家庭が多いのではないかと思います。学校からもいつもそのようにするように言われます。それをきちんと守って、楽しく遊んでいる子も多いと思います。

親との約束がなくとも、自分の中できちんとコントロールできているお子さんもいらっしゃいます。

それなのに、なぜか大きな声で堂々と訴えられるのは、ゲームばかりやっていて困る、ゲームの約束事を守らないので困るといった、ゲームによる被害(?)なのです。

私の中でなぜか忘れられない話があります。もう何年も前ですが、ある保護者の方が、うちの子がゲームばかりして困っているという話を、すごい勢いでされたのです。まだそんなに学年は上でなかったので、確かにその年でその依存の仕方はちょっと酷いかなという・・詳しく書けませんがとにかくずっとゲーム、勉強も全くしない、夜も寝ないで遅くまでやっているというお話でした。

そのとき私は相反するような二つのことを思いました。一つはそこまであけすけに正直に話せるなんてすごいなということと、もうひとつはその裏返しのようなことですが、もし私だったらそこまでの状況をここまで話せない(なぜそこまで言う必要がある?)ということでした。

どうして話せないのかというと、もし自分の子がそうなったとしたら、その責任の一端は親(自分)にもあると思うからです。そもそも、ゲームを買い与えたのは親だし、そこまでゲームにはまるような状況になった家庭の状況というものは何なのだろうと。だから、なんでそんなことを、わざわざ先生や大勢の保護者のいる前で言うのだろう?と思ったのです。

私がたまに読んでいる教育系のメールマガジンでも、ゲーム、スマホに困っているという保護者の話が本当によくでてきます。

子どもはどうしてそんなにゲームをするのでしょう。もしかすると、ゲームが逃げ場になっている側面もあるのではと思うのです。この場合の逃げ場は、私は良い意味で言っています。

人間、誰しも闇を抱えています。人生はある意味、寂しさとの闘いです。寂しい、理解してもらえない、否定されてつらい、人がいつもそれを真正面から克服できるとは限りません。そんな時、安息できたり快感が得られたりするものに逃げることで、やっとやっと自分を保つことができるということがあると思うのです。

人からはガミガミ怒られてばかり、何か言っても否定される、褒めてもくれない・・でも、ゲームは決して私に怒ったりしません。否定もしません。ときに褒めてくれたりもします。楽しみながら達成感も得られます。ゲームが好きになって当たり前だと思うのです。

かく言う私も、ゲームではなくても、いろんなものに逃げることで、言い換えれば依存することで、これまでの人生を生きながらえてきました。依存というのも、要は程度の問題で、お酒でもギャンブルでも、適度ならいいのです。関わり方が問題なのであって、存在自体が悪なのではないはずです。(薬物とかストーカーとかDVとか命に関わるほどの依存になると、また話は別です)

現実逃避的でなくても、純粋に楽しいから、好きだからという前向きで明るいゲームとのお付き合いも当然あるわけで、どちらにしても、ゲームは魅力的なんです。

でも、そのゲームが大好きになった人の周りで、ゲームを憎む人が生まれるというこの現実・・そんなことを考えていて、私ははたと気付いたのです。私は、「自分の子どもがそんなことになったら人に言えない」と思いました。それは、「そんなことになったのは元はと言えば親である自分の責任。そして、そのように人からも思われる(あなたの育て方が悪いのでしょうと責められる)」と思っているからに他なりません。

つまり、そんなことになったら自分を責めるばかりでなく、他人からも責められると思っている。それが、辛いからなんです。

子育てのことで、自分を責めたり、他人から責められたりするのは、本当に辛い。ただでさえ、苦労ばかり多くて認められることのない仕事です。だったらどうするか。子どもがゲームに逃げるように、親は、ゲームのせいにすることで、子どもの問題を自分の責任から少しでも逃したらいい、となる。

そう考えると、さきに書いた、子どものゲームへの依存ぶりをぶちまけていた人の話も私の中で辻褄が合ったのです。ああ、多分あの人は自分が悪いなどとは微塵も思っていなくて、いや、思いたくなくて、すべてゲームの存在が悪いということにしたいんだな。ゲーム機を買い与えた自分の行為や、ゲームと上手に付き合えるような環境づくりに失敗してしまったことも棚にあげてしまって、ただこの世にゲームがあるからうちの子はゲームばかりして勉強もしなくなってしまったと、憤ってみせて、そうして、「うちの子が勉強をしないのは、私が悪いんじゃない、ゲームが悪いんです」きっと、先生や他の大勢の人たちに、そうアピールというか、責められる前に予防線を貼ろうとしたんだなと。

おそらく意識はしていないのでしょうけれど、そうしてゲームのせいにすることで、大人も無意識に自分を守ろうとしているんじゃないかと。我が子が勉強をしないという現実が、辛いから。そのことで責められたくないから。

そう考えると、結局、子どもも大人も、ゲームというものの存在に救われているんだと・・実は、ゲームのせいで云々と言っている人ほど、ゲームが無くなったら困るのかも知れません。(そうなったらそうなったでまた別の責任転嫁の対象を探すのでしょうけれど)

だから、結局みんな、ゲームを頼りにしてるんです。ゲームが好きなんです。\(^^)/ワーイ

3 Replies to “愛されて憎まれて、ゲームはみんなを救っているのかも”

  1. 結局「ゲームのせいで」と言っている親こそ、ゲームに救われている…深い洞察に感心しました。

    記事中盤のお母さんの子どもが勉強しないとか、夜更かしをするとか、ゲーム依存になったとかも、
    決してゲームが”真の原因”ではなくて、親が作る環境が大きいと私も思いました。

    ちびまる子ちゃんで、まる子が宿題をやらなくてお母さんによく怒鳴られているシーンがあります。
    私の母が「すみれさんも、怒鳴ってばかりいないで、たまには一緒に茶の間で勉強みてやればいいのに」
    「怒鳴ってるだけで、あれではまる子が可哀想よ。」と言うのです。

    「ゲームやスマホを我慢して、我が子にもっと勉強がんばってもらいたい。」
    今の親の大半が、こんな願いをもっているんじゃないでしょうか?
    こう願うならば、親自身が子どもが勉強する時間になったら、テレビやスマホの電源を切って、
    自分自身も、家事や自分の勉強の時間にしたりしなければ、子どもの心や行動は
    絶対変わらないと思いました。(稀に反面教師という子もいますけど)

    でも正直、大人も仕事で疲れていたり、スマホ依存になっていて出来ないことも多いですよね。
    でも”子は親の鏡”と先人がよく言ったものです。
    親も怠けたい気持ちに鞭を打って努力することが、つまりは、子どもへのプレゼントであり
    親の愛なんだなぁと思いました。

    そして、親も完璧じゃなくて、ときに失敗して悩んで苦しんで、そんなときに
    「ゲームのせいで、うちの子が勉強しないんだ!」と一時的に心の安定のために逃げることも
    決して悪ではなく、ときに必要で、文末”結局ゲームがみんな好き”の締めに
    ちょっとほんわかしました(^^)

  2. りょうくんのお母さんありがとうございます♡
    なんということでしょう私が言いたくてもそこまで書けなかったことを、全部言ってくださいました〜

    >ちびまるこちゃん
    まる子にもでてくるのですね、私はドラえもんでのび太に怒っているお母さんにいつも全く同じことを思います。
    お母様は、実際勉強などを見てくださったりするお母様だったのですか?うらやましいです。

    「子は親の鏡」、ある意味厳しい言葉ですけど、そのとおりだなーと実感することが多いですね。
    いつも子の手本でいるのは大変で無理ですけれど、でもこの言葉がどこか頭の片隅にあれば、自分に甘く子供にだけ厳しくするという最悪なことだけは避けられるかなと思っています。

    最近よく先生達が親のスマホ依存に対する苦言を言われますが、親がスマホ依存になれば子供もなる確率は高いので、心配されてるんですかね。
    この前小学校で親子アンケートの結果が配られたんですが、子供から親への意見で一番多かったのが「スマホばっかりいじってないで欲しい」でした・・。

    本を読む子になって欲しいと思うのであれば、親が本をたくさん読んでいれば自然とそうなると思うのですが、親が本好きなのに子どもは全く読まないなんてご家庭あるのかなと思ったり
    勉強して欲しいというのなら、親も勉強すれば勉強するようになると思うんですよね。
    私はそう思って、ずっと一緒に勉強してきました。自分ができもしないこと、やりたくないことを、子どもにだけやれと言うのは酷だから。口で言うのは簡単ですが、実際口で言うだけでは子どもは動かないと思うんです。
    最近はもう一人でできるので見たり見なかったりです。下の子は自分から「見て」って言いますね。
    でもそのことは、誰にも言いません。忙しいもの、そんなことやってらんわ!あなたはそんなことする暇があっていいわね!と妬み恨みの的になるとも限らないから・・^^;

    あー調子にのって生意気なこと書いてすみません。(/ω\) ハズカシー

  3. 子どもさんと一緒に家庭で勉強するのは、親さんの学力や根気がいるので
    得手不得手もありますしね(^^)
    勉強が苦手なお母さんにこの話は確かに辛いので、また別の手法(例えば栄養満点料理で
    応援するとか?)別の愛のかたちもあるのではないかなぁとも思います。

    でもモモちゃん一家が、親子で勉強する習慣が身についていることは、
    私は素敵だと思いますし、自分も出来る範囲でやってやりたいと思っていることです♪
    コードフレンズでも、子どもにだけにやらせるのではなく、お母さんも”一緒に”という
    ポリシーがお母さんから溢れてますもんね!!

    すごくいいと思います。

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