ゲームって男の世界だなって思う

いつもお世話になっている美容師さんは、店長で男性の方なのですが、美容業界に身を置くだけあっていつもおしゃれで、無頓着な私からすると別世界のような人です。

一人娘さんがいらっしゃって、年頃になってファッション雑誌を買うようになり、将来もお父さんと同じ道を目指しているそうです。娘さんにファッションコーディネイトのチェックをしてもらったりしているそうで、仲良しでいいですね〜と言いましたら、「いやいや、そろそろ父親から離れていく年頃で、こちらも必死です」と言われて、微笑ましいのと同時に意外でした。

なんでも、女の子はある頃になると父親の匂いが臭いと感じるようになって、自然と遠ざけるようになるとか。遺伝子の関係でそうなるという説があるそうです。

でも娘さんと仲良く過ごしたいと努力をしているなんて、偉いというか、よそのお父さんとあまり話をする機会もないのですが、やっぱり家族であっても一つの人間関係で、みんな言わないだけで努力されているのかなと思ったりしたのでした。

私は今のところそこまでの努力はしていませんが、女の子だけでなく男の子でも、形は違ってもやがて親離れ子離れの時はくる訳で、また別の愛の形で愛していかなきゃいけないんだな私はその時その寂しさに耐えられるだろうかとか準備をしていこうとふと思う今日この頃です。(案外平気かもしれませんが)

考えてみれば男の子と女の子ってずいぶん違うものだなって、プログラミングをとおしても何度か考えさせられました。

プログラミングで何かゲームを作ろうとなったとき、何を思うのでしょう・・。ゲームの王道といえば例えばシューティングゲームがあると思うのですが、申し訳ないことに、私にはこれが浮かびませんでした。

猫ちゃんをなでる、とか、球が行ったり来たりとか、すごろくみたいなものとか。自分が好きだったゲームに似たものということもありますが、シューティングというのは、男の本能からくる思考・志向・嗜好だと思うのです。

戦闘機から弾を発射して、敵機を撃ち落とす・・・考えてみたらなんて物騒な・・女の脳の初期値にこういうものはインプットされていません。それどころか、私は女子にしてはずいぶんシューティングゲームをやったと思いますし(弟に付き合わされた)、嫌というほど見せられたりした(これまた弟のすごい腕前をたくさん)にもかかわらず、発想に出てこなかったのです・・。

元々コンピュータの世界というものが、理系で、男っぽい世界で、男の人の嗜好で作られていったものがコンピュータゲームなのだから、当たり前と言えば当たり前なのかもしれません。

先日、教室のお父さんが、子供の頃から集めて大切にされてきたゲーム機を持ってきて見せてくださいましたが、やっぱりどれも男の子の世界を感じました。

私の周りで女の子もゲームをし始めたのは、ゲームウォッチが最初なのではないかと思います。流行っていた頃はみんな一人一機ずつ持っている感じで、それをお互いに交換して遊んだ思い出が、最初のゲームの思い出です。

私の主人は、ある専門的な仕事をしていますが、パッと見、その職業であることを言い当てられる人はまずいません。その職業の仕事柄とはかけ離れた雰囲気だからです。主人のいいところは、信じられないほど温和で穏やかで優しいところです。声を荒げたりすることもありません。人と揉めたり争ったりすることが何より嫌いな、実に、平和的な人です。

そんな主人の趣味というか、好きなものは、なぜか戦車や戦闘機、いわゆるアーミー愛好家です。私にはあまり理解できない世界です。ドイツと言えばティーガ?戦車とか、アメリカと言えばコルセア?だとか、どれがかっこいいとかどうとか、本棚を見れば「世界の駄っさく機」とか「陸軍下士官兵よもやま物語」のシリーズとか、「ああ海軍予備学生」とか(今見たらまた何か増えてる・・もうやだ)、「丸」とかいう雑誌の古本を見つける度買ってくるので処分したい私と一悶着したり、好きな話はたしかノルマンディー作戦だったかな、戦争物も好きで・・戦争ものの話というとヒューマニズムを描いて美化していますが、私は、極限状態でのヒューマニズムは確かに素晴らしく感動的で、それが嘘だとは思いませんが、一方で戦争という極限状態ほど人間の本当の醜さというものが出るところもないと思うのです。ただ、醜すぎて、そんなものは映画や話にもできないのではないかと思っています。

私が理解できないというか不思議に思うのは、その趣味の内容というより、どうしてそんな温和で争いごとも嫌いな主人がそんなものが好きなのかということなのです。聞けば、「別に戦争は好きではない」と言います。確かに、主人に限らず、戦争が好きだとか戦地に行きたいなどという人はほとんどいないでしょう。

でも、現にそういう本がいっぱいあって、愛好家がたくさんいるのです。惹かれている人がたくさんいるということです。

「戦争が好きなわけではない」と言いながら、私にとってはまず戦争(人殺し)ということが連想されてしまうものが好きということが理解できなくて、リビングに戦車や戦闘機の模型を置くことに抵抗を感じてきました。

しかし、思わぬところでこれってもしかすると男性の本能なのだから仕方ないのかもしれないと考えさせられたのでした。

それは、CodeFriendsに通い初めてから間も無くのこと、教室で使っているエディタには投稿というか、スクール内で閲覧できるようにリリースするスペースがあって、そこにTちゃんのお父さんが作られたというゲームがあり、授業の中で紹介されたのでした。

それを見て私は衝撃を受けてしまいました。

なにこれ、うちの主人の脳内と同じじゃない!?・・・(Tちゃんのお父さん失礼だったらすみません。悪い意味じゃないです!)

それはTちゃんのお父さんが初めてやったゲームを再現されたものだとか。手前から大砲を向こうの船に向かって撃つと当たって爆発して燃え上がるという、遠近感が素晴らしく表現されている美しいグラフィックです。

そして思いました。・・主人だけじゃないんだ、男の人ってたいていこういうのが好きで頭の中にあるのね・・。

雄は、激しい生存競争の中で、自分達の子孫を残すために、強いものが戦いに勝って伴侶を獲得してきたという生物としての長い歴史があって、「闘い」というものが、あらかじめ本能にあるのでしょう。強そうなものがかっこいい、戦闘に勝たなければ生き残れない、戦って勝ちたいといういわゆる闘争本能というのでしょうか、だから男の人には元々そういう本能が、歴史上の人間同士の戦争というもの以前にあるのだろうなと思ったのでした。

つい先日手にした「ゲームシナリオ作法」(川邊一外著)という本にも書いてありました。

「ゲーム」は、人間の闘争本能に基礎を置いています。
闘争は、個体保存のかかわる人間の基本的な欲求の一つです。
 Gameとは、もともとjoy(悦び)を意味する古代スカンジナビア語gamanに由来するといいますが、食欲や性欲と同じように、人間の本能的な欲求に、常に強烈な快楽がまつわるのは面白いことです。
 ルールによって闘争にかかわる流血や死の要素を除き、快楽の部分のみを抽出したシステムが、ゲームというものです。

でもこれは、男の人にとってのゲームだと思うのです。人にもよると思いますが、女性にはそんなに闘争本能はないと思うからです。

先に、コンピュータというものが理系で、男性的でと書きましたが、理系文系というのもここではあまり関係ないかも知れません。

戦争ものの好きな主人は文系でパソコンもできませんし、私は高校のときから理系クラスで、パソコンも好きです。

もしかすると、実生活では極めて平和的なうちの主人は、秘められた闘争本能を、趣味の世界で解放することによってバランスをとっているのかも知れません。そう思い至って、はじめて主人の趣味に対して少し理解できたといいますか、それまでよりも寛容な気持ちになれました。

主人に限らず、人は、ゲームという趣味の世界で、抑圧された闘争本能を解放して心を満たしているのですね。

ということは、女性にある本能といえば、母性本能です。これを満たすようなゲーム・・たまごっちじゃないでしょうか。でも、別に母性本能は抑圧されているわけではないので、また違った反応が出るということを、私は実体験したのでした。(続く・・?)

主人が今やっているゲーム・・30年越しのゲームクリアなるでしょうか